

東京タワーの真下に住む私は、近所のスーパーへ行くにも、
こんな絵葉書的な光景を目にできる。幸せなことだ。
だが、そんな桜満開の週末なのに気持ちはあまり晴れなかった。
以前より親しくさせていただいている社長さんの
お仕事のお手伝いをするため、打合せに出かけたのだが、
何かが食い違ってしまったからだ・・
私は自分が何かの価値を提供できる人間でなければならないと
必要以上に思い込んでいるフシがある。
「誰かの役に立ちたい」
これは誰もが持っている普通の感覚だと思うが、
私にはそれが数字とか実績とか、
客観的な指標として見えていないと納得できない。
こういう人間は組織で仕事をするには最適だ。
喜んで目標を受け入れる。
それは私が努力家だからではなく、
目標を達成している状態がそのまま自分の「心地よさ」にも繋がるから
頑張れるのだ。
打合せ中、必要以上に自分の「役割」や「求める成果」を追求する私に、
それがビジネスだと言わんばかりの私の生意気な態度に、
社長さんはきっと業を煮やしたのだと思う。
少し強い口調で言った。
「僕の想いに共感さえしてくれるなら、
史ちゃんのやれる範囲のことをやってくれればそれでいいんだよ。」
一瞬・・・狐につままれたようになった。。
その社長さんの役に立ちたくて、
自分にできることは何かと一生懸命考えていたつもりだった。
求める条件を示してもらえれば、
私はどんな手段を使ってもそれを実現しようとする人間だと、、
そしてそこが自分の強みだと思っていた。
でもそのことを主張すればするほど、議論は空回りした。
社長さんに指摘されて気が付いた。
求められている結果ばかりに焦点を当てて、
その手前の、「私が」本当にその事業を手伝いたいのかという
「気持ち」の部分が抜けていた。
相手の役に立とうとしているようで、
結局私は自分の出せる成果と、
それに紐付く「自己実現」のことしか考えていなかった・・
この、「求められることに応える力」と「自分がやりたいことをやる」バランスって
本当に難しいと最近よく思う。
現状に満足していたら向上心は保てない。
本当に自分の気持ちが向くことしかやらないのでは成長もない。
実際、やりたいことだけをやって生きられる人間なんてごく僅かだし、
心が100%納得できない状態でもコンスタントに結果を出せる人間は
強いと思う。
努力家でストイックな優れた経営者程、
実は強烈なコンプレックスがその裏側にあったりする。
「認められたい」という執念が、ここ一番の自分を支えてくれたりもする。
でもその欲求がときに自分の本当の心を覆い隠してしてしまうことがある。
表面的な欲求ではなく、自分の「内なる声」に耳を傾けるのは
案外と難しい。
今の私に必要なのは、自分の直感に従うことの潔さ。
これが私を次のステージに導いてくれると確信している。
結果がどうとか、将来に役に立つかとか、お金になるとか、
もちろんそれらは生きていくための重要なファクターだけど、
プロセス自体を楽しめないことに幾ら時間と労力を費やしても人生は豊かにならない。
人生は、「いつか」幸せになるものではない。
「今」の一瞬一瞬の積み重ねが人生なのだ。
「いつか」のために、「今」の自分を押し殺すのは本末転倒だ。
自分以外の誰かの軸で、がむしゃらに頑張って結果を出しても
それで燃え尽きたらあとは散るだけ。
でも結果に至るプロセスが楽しめることだけを選んで生きていれば、
人生の多くの時間を満開の笑顔で過ごせるはず。
そしてそんな生き方のほうが、
結果的に多くの人の力を引き寄せるのだということを
百戦錬磨の社長さんが私に教えてくれていたのではないだろうか。。
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